2019年3月11日月曜日

3.11

そういえば今日は 3.11。あれから8年になるんですねえ。あの日あの時、当局はリタイアしたばかりで、近くにできた、東京郊外の大型ショッピングモールに家族といました。

別々にモール内2階でショッピング していると、突然の大揺れ。多少の揺れは平気な自分も、今回ばかりは建物が壊れるか、もうダメか、と思ったほど。おまけに目の前は吹き抜けの透明壁で1階の床が丸見え。

あわてて、 大きな柱の根元に移動してしゃがみ込む。揺れが収まったところで、止ってしまったエスカレーターを駆け下りて、近くの出口から外へ出た。家族に携帯電話をかけるも、つながらない。「駐車場の車のところにいる」とメールすると、これはどうやら届いたみたい。

すぐに車のワンセグTVをつけると、東北沖が震源の報。近くにいた人たちも集まってきて、一緒に見ていると、どうやら大地震の模様だ。被害はまだわからないが、「東京でこの揺れだから、こりゃヤバイよ」と口々に。

戻ってきた家族と急ぎ家へ帰る途中、偶然にもガソリンが少ないのに気付いて、スタンドに立ち寄り満タンにした。特に意識したわけではないが、これが奏功。その後のガソリン不足はご存知の通りだ。今では、ちょっと減るとつぎ足して、できるだけ空っぽにはしないクセが身についた。

家に着いてみると、倒れたり壊れたりしたものはなかったが、食器家具などの扉が半開きに。幸いにも、どれもストッパー付のものや、ガラスには飛散防止のフィルムなどを張ってあったので、割れた食器やガラスもなし。

そうこうしているうちに、当時430Mhzで常時設定の ECHOLINK から、イタリアの局が「ハロー・ジャパン 」と叫んでいるのが聞こえた。「東京はダイジョウブだが、北の方の被害はまだわからん。だけど心配してくれてありがとう」、などとのんきに応えたのが今から思えばバカみたいだ。

テレビをつけっぱなしにしていたが、実際最初のころは落ち着いた放送なのが、後になって一変するのは、津波や原子力発電所の惨事が時間差で発生したからにほかならない。

それからしばらくは、当時集めはじめたJCAアワードのため、何万枚のQSLカードをコタツにはいりながら、毎日のようにチェックし始めたのを思い出します。TVの地震情報をみながらの不謹慎な作業だったが、悲惨な映像に今でも胸が痛む思いだ。

当時多くの7管内のアマチュア局も被害にあわれたようで、亡くなった方々に合掌。。

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